作家紹介

浅原 裕貴

経歴

1974年三重県松阪市出身

 

1999年広島市立大学芸術学部油画専攻卒

 

こども絵画造形教室講師 

 

絵画、映像制作、ポエトリーリーディング

 

息子と娘がいます

 

映画が大好きです。

 


なぜおサル?

私の故郷の三重県松阪市には、岡寺観音という有名な厄除け観音があり、毎年大勢の人々が厄除け祈願に訪れます。

その境内で「さるはじき」という厄除けの郷土玩具が売られていました。

「厄を弾き去る」の意味でサルを弾いて遊ぶおもちゃです。松阪人は皆幼い頃にこのさる弾きで遊ぶのです。

サル好きのルーツはここにあるのだと思います。

油画→映画→おサル

図工、美術が好きだったので、自然に美大を目指しました。大学では油画を専攻しましたが、浪人生活を過ごした名古屋で映画の魅力に出会い、自分でも作ってみたいと思い、大学入学とともに映画研究会に入部。それからは自主映画制作に夢中になりました。

卒業して、絵画造形教室の講師となった後も、休みになると友人たちと映画制作を続けました。いくつかの賞ももらいましたが、一人では作れない映画。年を重ねるごとに仲間も減っていき、だんだんと作ることがむつかしくなりました。

そしてサルが現れた

そんな38歳の春、友人が開いたカフェギャラリーで個展をすることになりました。映画以外になにができるだろう?と考えていたら「猿山」という言葉が浮かびました。そこで壁いっぱいにサルがやまのように積み重なった「猿山」を描くことにしました。お土産に何か買って帰れるものを作りたくて、羊毛でおサルを作り、山のように積み上げました。

大盛況に終わり、ほっと一息ついたと思ったら、階段ですっころんで足を骨折。なんと3ヶ月入院。

足以外は元気なので、暇すぎて気が狂いそうになり、正気を保つために羊毛おサルを毎日毎日作りました。針を指している間は怪我のことは忘れられました。羊毛の触り心地も荒んだ心を癒してくれました。退院する時には233匹できてました。そしてとても上手になりました。

 

今では足は普通に動いています。手術の跡もだいぶ薄くなりました。「怪我が去る、怪我がサル」と毎日つくっていたのですね。

厄除けのおサルを実感しました。それ以来ずっとおサルをつくっています。自分の厄も、誰かの厄も、厄がサルことを願って。